うたごえ新聞

 「時代の灯」

   木津川 計

 

 

一人語りを反戦平和で幕を閉じられた

木津川先生は、お元気で

うたごえ新聞の「時代の灯」の

原稿を書いておられます。

 

 

2023年1月号のうたごえ新聞を

掲載させていただきます。

 

 



一人語り 反戦平和で幕

 

北海道新聞 

 2022年(令和4年)4月30日(土)

   文・写真 岡高史氏

「上方芸能」元発行人

木津川計さん

「私は貝になりたい」感情込め

関西の芸能文化を約半世紀にわたって論じた

専門誌「上方芸能」元発行人で立命館大学

名誉教授の木津川計さん(86)₌大阪市₌が

71歳で始めた「一人語り劇場」の幕を

閉じた。

「瞼の母」「無法松の一生」など芝居や映画

を語りで再現、解釈も加えて、魅力を掘り

起こす。16作の口演は220回を超えた。

世界的な右翼化を懸念し最後に選んだ演目は

映画「私は貝になりたい」(1959年)。

くしくもウクライナ危機の中、

「反戦平和、人間の幸せ、そういう地上が

どこまでも続いてほしい」と願いを込めた

語りはひときわ熱を帯びた。

 

4月10日、神戸市立灘区民ホール。

約320人を前に木津川さんは語り出した。

太平洋戦争中、上官の命令で米軍捕虜の

処刑に加わった理髪店店主、清水豊松が

戦後、戦犯として絞首刑になる。

加藤哲太郎の手記を橋本忍が、テレビドラマ

脚本に取り入れ、脚色・監督した映画も高く

評価された。

 

椅子に座り、口演の前半は、映画を再現。

体力の衰えによる幕引きだけに力強さは

ないが、やわらかい大阪弁に切実さが

にじむ。50代~60代に稽古した常盤津や

謡曲が発声を支えている。

 

高知出身。20歳まで京都や高知で過ごし

大阪へ。大阪市立大(現大阪公立大)で

社会学を学ぶ。伝統芸能を守り、土地

への愛着を育てようと、32歳で落語会

「上方落語をきく会」を旗揚げ。その

会報が2016年まで48年続いた「上方芸能」

となる。能、歌舞伎、演劇、漫才など幅広

く論評。故桂米朝も連載した。活動が認知

され50歳で立命館大学教授に。1998年に

菊池寛賞を受けた。

 

少年期、ラジオで落語などを聴き、語り物

の芸能に親しんだ。さらに雑誌編集長を通

じて、表現への関心を高め、語りと演技で

映画を再現した故マルセ太郎にも影響を受

けた。「一人語り劇場」を始めたのは、

こうした朗読・語りの文化を少しでも残し

たかったからだ。

 

口演後半は解説。橋本の脚本は黒沢明に

「根幹の欠如」を危惧され、橋本も「何か

が足りない」と認めていたという。木津川

さんはその理由をイタリア映画

「ロべレ将軍」(ロべルト・ロッセリーニ

監督,59年)と対比し、解明していく。

 

「私は貝になりたい」の豊松は不条理な

戦争の犠牲者として死ぬが、天皇制の抵抗

や反戦運動は何もしていない。一方、

「ロべレ将軍」の主人公の詐欺師は不条理

な戦争の中で良心を目覚めさせ、ファシズ

ムに抵抗して死を選ぶ。木津川さんは丸山

真男の言葉を引用し「私は貝になりたい」

に欠けているのは戦争とどう向き合うかと

いう事であり、戦時体制における豊松の

「不作為の責任」に他ならないと指摘。

何もせず、行動したときには遅かったと

いう事態は「遠い過去の外国のことでは

ない」と述べた。

 

一方、豊松が生まれ変わっても人間では

なく貝になりたいという遺書を残した点

を強調。「平和で徴兵制のない地上を願

って死んだ平凡な人間の重たいメッセー

ジゆえに反戦平和を願う記念碑的映画

たり得ている。人々がこの映画を見たい

と思う限り、この願いは生き続ける」と

評価した。

初めて来場したマルセの長女、梨花さん

(53)は「私は在日なので(加害者である)

兵隊も被害者だというだけじゃちょっと

…と思っていたが、最後の解釈など色々

考えさせられた。父とは違う語りの芸を

聴かせていただいた」

木津川さんの次男で古書店経営の坂本

卓也さん(51)は「時宜を得た内容だった。

足腰が弱っていて心配したが無事に語り

終えてほっとした」と喜んだ。

 

「語りおおせた」と息をついた木津川

さん。平たんな道ではなかった。疎開

した高知で大空襲に遭う。

小学校は胸膜炎で1年休学。高校で結核

になり、卒業後右肺上葉を切除。

20代は弟のフィクション作家故萩原遼

さんとともに「祇園で散財する父に収奪

された」。自殺した父の印刷会社再建に

30代を費やし負債完済は40代半ば。上方

芸能研究や雑誌編集は精神の誇りを持つ

ための闘いでもあった。

 

今後も朗読・語り文化の確立を願いつつ

文筆や短時間のラジオ出演は続ける。

「人間はね、芸術の人と運動の人に分か

れるんですよ。僕は絶えず運動していな

いといかんのです。自転車に乗り続けて

るというような新たなものを開拓して、

また切り開きまた次を開拓して、また

切り開き、また次を開拓し、ていうてね。

それが運動の人間のすることやったんや

なと、今にして思います」

 

 



木津川計さん 最後の口演

木津川さんは、立命館大学教授退職後、

念願だった「一人語り劇場」をスタート

させたのは71歳の時だったそうです。

舞台に上がって15年。

口演回数は300回を超え

2022年4月10日(日)が最後の口演となり

切符が完売間近と聞き、慌てて

神戸市立灘区民ホールにかけつけました。

 

平和への祈りを込めて、戦争の不条理や

戦犯裁判の不合理を伝える名作

「私は貝になりたい」の舞台は

木津川さんの青春時代の時からの思いや

信条までが全て集約された口演となり

会場からは惜しみない拍手で幕を閉じました。

そして…

最後は木津川さんの奥様も登場され

花束贈呈式が執り行われ木津川さんの

ホットされた優しい笑顔が印象的でした。

 

2022年4月11日記

 

 

 

2022年1月7日 毎日新聞 朝刊より↓

「一人語り劇場」主宰の

 木津川計さんの

新年のご挨拶です。

         2022年1月5日 記

 

2021年8月29日(日曜日)

木津川計の一人語り劇場

父帰る

神戸市立灘区民ホールで

開催されます。

皆様のお越しをお待ちしております。

終了しました

 2021年8月6日 記

 

木津川計の一人語り劇場の

ご案内をさせて頂きます

終了しました

 2021年6月27日 記

 

2021年 木津川計の

「一人語り劇場」の

公演は次の表の通り

予定を致しております。

皆様のお越しを心から

お待ち申し上げます。

(終了しました)

【木津川計】

(上方芸能評論家・立命館大学名誉教授)

2016年に200号で終刊した雑誌「上方芸能」

の発行人。

2007年に71歳で「一人語り劇場」を旗揚げ。

豊かな知識と柔和な語り口で、多数の映画や

舞台の魅力を、木津川節といわれる大阪弁の

やわらかい語りに引き込まれてゆきます。

 

 

 

 

「一人語り劇場」主宰の

 木津川計さんの

新年のご挨拶です。

         2021.1.1.記

 下駄履きに着流しで近所を歩いていると

おばあちゃんに手を引かれた四つぐらいの

女の子が立ちどまって私を見るのです。

着物姿に下駄が珍らしかったのでしょう。

おばあちゃんは女の子と歩きながら、

「昔の人はみんなあんな格好して

はったんや」。すると、女の子が

「あのおじいちゃん、昔の人?」

 冗談ではない、今の人ではないか、

と言うのもおとなげなく聞き流したが、

あの可愛らしい子は、「昔の人」が

今も生き残っていると思い込んだ

ことでしょう。

 ですが、考えたら昔の人になって

しまったのです。戦場体験こそない

ものの、戦争を知る最後の世代です。

「鬼畜米英」「撃ちてし止まむ」

の軍国教育に染まり、一日も早く

御国(みくに)のために特攻として

散華したかったのです。

それだけに平和な戦後を85歳

生きながらえたことに感謝する

のです。

 今は「一人語り劇場」を主宰

しています。

 今年の五月から十一月まで毎月一回

「木津川計大全集」を神戸芝居

カーニバル実行委員会が主催して

くださり、神戸の灘区民ホールで

「無法松の一生」「王将」など

時代の名作八作品を語り、

今日の視座で解釈します。

 NHKの「ラジオエッセイ」

(毎水曜4時30分~、関西エリア)

は41年に入りました。

 元気に過ごしています。

貴方(女)様の平安を念じ、

本年もよろしくと願い上げる

次第です。

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

2021年 元旦

 

 木津川 計